伝える紙から感じる紙へ
紙の役割の転換
モノに溢れる現代。物質性は軽視され、ワイヤレスイヤホンや羽根のない扇風機などありとあらゆるレス化がなされて久しい。そして、紙もその例外ではない。むしろコスト削減や効率化、環境保全を進めるためのペーパーレス化やキャッシュレス化はその象徴的な存在と言える。
かつて紙はその極めて平らな形状と保存性から記号や文字、言葉を記すに適した人類最高の発明として重宝された。そこには歴史、宗教、科学、芸術など様々な分野における先人たちの数々の英知が染み込まれている。
そして、今日人類に数多の恩恵を授けた紙は「伝える」という役目から「感じる」という役目へと転換しつつある。それはデジタル化や様々なレス化によって私たちが普段知らぬ間に忘れ去ってしまっている触覚などの様々な感覚を呼び起こし、この世界と私たちを繊細な感覚で繋ぐ貴重な素材として注目されている。
今回はそんな「感じる」紙の世界を「素材」と「表現」の二つの方向からアプローチする。
素材としての紙
・NTスフール
フランスの焼き菓子「スフレ」」が名称の由来となっており、人の肌ともゴムとも感じられるその手触りは紙とは思えない保湿性のある質感となっている。従来の紙の乾いたイメージを払拭するしっとりとした風合いは私たちに「触れる」ことの愉しさを改めて感じさせてくれる。
・パチカ
羊皮紙を意味する「パーチメント」からその名が付けられ、加熱型押しが施された部分が透過する特殊紙。半透明が生み出すぼんやりと淡い光が障子を思わせる。伝統的な日本の美意識を備えた新たな紙の可能性と言える。
・土佐典具帳紙
極めて薄いその姿から別名かげろうの羽とも呼ばれ、世界一薄い和紙として知られている。その唯一無二の薄さ(0.005~0.002mm)と強靭さからルーブル美術館など国内外を問わず、数多くの美術館・博物館の絵画や書の修復に用いられている。また和紙としての機能性はさることながら、風を感じる可憐な姿は人の心を解放してくれる。
・淡光紙
蓄光素材を和紙と共に漉き込むことで発光する和紙。私たちが普段受ける液晶のブルーライトやLEDの光のようにビビットな光ではなく、薄い紙本体が発光することによりほのかで幻想的な光が生み出される。この紙自身が発光し、浮かび上がる光はデジタル化が進む今、必要とされる静寂の光である。
・玉紙
越前和紙を基調に超撥水加工が施されており、水を垂らすと紙の表面に染み込むことなく、張りのある球状の水滴になる。これが「玉紙」の由来にもなっている。主に茶室などに用いられる日本の建築和紙の歴史から誕生した「超撥水壁紙」であるが、水滴を弾くその様子はどこか愛らしく、見る人の美的な感覚を引き出してくれる。
・スポンジぺーパー
水に反応し、急速に膨張する紙。水に浸す前と後ではおおよ7倍の厚みが生まれる。パズルの制作など子供の工作が主な用途とされているが、紙が膨らむという現象とその過程に驚きの詰まったさらなる用途を考えさせられるギミックペーパーである。
・立体漉き和紙
「紙は薄く平たい形状である」という紙の概念を覆す和紙。立体漉きという独自の技法から生まれる形状には継ぎ目がなく、和紙の原料である楮の繊維の絡み合いで成形されている。卵や月、繭にも似た曲面は角の取れた柔らかな光を作り出し、くつろぎの空間を演出してくれる。
・形状記憶の鳩
形状記憶加工の施された不織布で折り込まれた鳩。頭と尻尾の部分を引っ張ると平らな状態になり、手を離すと元の姿にひとりでに折り畳まれていく。中に言葉をしたためれば、サプライズな手紙として相手に驚きも届けることが出来る。動きを与える仕掛けとして、紙の表現の幅、そして贈り物の幅を広げる技術である。
表現としての紙
・PECOPACO
文字や模様としての印刷ではなく、強度を与えるための印刷が施された構造体。日本の伝統的な提灯の構造から着想し、自立できないほどの薄い紙に厚盛りのUV印刷がされることにより、自立する構造へと生まれ変わる。そして、再解釈された「印刷」の意味が従来の提灯にはない柔軟で有機的なフォルムに表れている。
・動紙
磁石の動きに合わせて動き出す紙。その動きには、魚や鳥が群れをなして行動するような生き物の意志さえ感じられる。また、細かな紙同士の擦れ合う音は、物陰や草むらがガサガサと音を立てた時の気配に心がざわつくような緊張感を覚える。
・和紙デニム
撚糸の技術で和紙を繊維として取り込んだデニム。和紙は綿の10倍の吸水性と1/3の重量、という特徴から通気性の良い着心地と軽量化を実現している。見た目には気づかない和紙の存在も身に纏うことによってそのDNAが組み込まれていることを実感する。
WASHINOITOー未来を着る、浜井弘治の和紙のプロダクト展ー:https://www.google.co.jp/url?sa=i&url=http%3A%2F%2Fwww.webdice.jp%2Fevent%2Fdetail%2F16000%2F&psig=AOvVaw2henrjgN21QCahzno4fynB&ust=1596553889523000&source=images&cd=vfe&ved=0CAkQjhxqFwoTCNjgre6o_-oCFQAAAAAdAAAAABAJ
・空気の器
空気を包むような存在感からその名が付けられた紙の器。レーザーカッターによって入れられた無数の切り込みがフレキシブルな形状を生み出している。小皿、小鉢、花瓶と用途に応じた変形が可能であり、畳んでしまうと置き場所にも困らない。伸ばし方によって密度の違いや重なりが生まれ、新鮮な空気感を味わうことが出来る。
・星空の封筒
封筒を覗き込むと星空を感じることが出来る封筒。この封筒はトレーシングペーパーと黒の紙の二重構造になっている。内側の黒の紙には細かな穴が無数に空いており、外側をトレーシングペーパーで出来た封筒が覆っている。この状態で中を覗くと黒の紙の穴の空いた箇所に光が透過し、穴が光り輝く星々のように見える仕掛けである。封筒の中と紙の透過性を利用した感じる封筒である。
・木の葉の座布団
紙から作られた木の葉を座布団のように集積した作品。葉脈から虫食いまで丹念に作り込まれた木の葉から、踏みしめた時の感触や音の記憶が思い起こされ、一度も座ったことのないはずのこの座布団に私たちはある感覚を与えてしまう。
・RAINBOW IN YOUR HAND
めくり続けることで虹が現れる本。黒の背景に7つの色が印刷された紙を製本し、パラパラ漫画の要領でめくり続けると、印刷された7色の虹が残像の効果で浮かび上がる。まるで液晶画面から飛び出したような表現は、まさにアナログの3Dグラフィックスである。
未来の紙のカタチ
バレンシア大学などのによる『紙の本を捨てるな』という論文の中には、紙媒体には集中力を高める作用や記憶の定着の速さにおいて電子媒体のそれを上回り、結果として紙媒体が電子媒体よりも理解力の向上に繋がるとの報告がされている。
このように紙という媒体が文字や言葉をただ載せているだけの機能ではなく、あらゆる感覚から脳を刺激し、理解を深めさせる超感覚的な機能性を持っている事が明らかになっている。また、日本でも都会に暮らす子供に自然を身近に感じてもらえるような動植物の毛並みや皮膚などを再現する図鑑の取り組みや乗り物の図鑑や絵本に見られる立体的な仕掛けもこれらの効用があると考えられる工夫である。そして、さらに進んだデジタル化の未来にはこういった出版物が貴重な感覚への栄養源になるのではないだろうか。
人間の身体に通う神経や潜在的な意識、感覚にはまだまだ私たちの知らない未知の世界が広がっている。紙という素材がこれから先も人間に寄り添い続ける限り、紙もまた不定形な未知の素材であり続けるのだろう。